ある日、布団に横になりスマホでYouTubeを鑑賞していたときでした。
「〇〇交通刑務所の実態に迫る!」
こんなタイトルの動画をみつけ、なんとなく気になったので再生してみたのです。
そこには交通事故や違反を犯した囚人たちが、それまでの社会的な地位や名誉、
そして年齢なども関係なく、みんなおなじ刑務所での生活をおくっているようでした。
その様子におどろきながらも僕はみていたのですが無意識のうちに、
こんなことを考えていたんです。
「まるで学校みたいだな・・・」
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ちょっとまってください。
刑務所をみて「学校みたいだ」と思うということは、裏をかえせば学校は刑務所みたいな場所になってしまうと思いませんか?
僕がいま大人になって思うのは、学校と社会はまったくの別世界である、ということです。
では、あれだけ我慢して行っていた学校はなんだったのか?
あなたもそのような疑問をおもちなら、このページを最後まで読みすすめてください。
コンテンツ
交通刑務所の実態
その交通刑務所では、交通事故や違反をした不特定多数の人間たちが年齢や過去の栄光など、
なにも関係なく集団行動をおこない社会復帰をめざしていました。
いい年をした大人たちが「いち!いち!いちに!」と声をだして朝から行進をしていたり、
朝礼なんかでは、学校でいうところの日直みたいな人が1人、登壇し「全員!気をつけ!おはようございます!」というと、
それに続いて残りの囚人たちも「おはようございます!」と全員であいさつをする。
そのあとは、単純で誰でもできるような作業を刑務作業として1部屋に30~40人ほどで密集し、刑務官のきびしい監視のもと、ひたすら作業をおこなう。
私語は厳禁。
起床する時間や、ご飯の時間など、1日のスケジュールを徹底的に管理される・・・
刑務所という閉鎖された空間に不特定多数の人間が密集する・・・
どうでしょうか?
学校での生活と似ている部分が多いと思いませんか?
学校に行く目的と刑務所の目的の共通点
前項では、交通刑務所の実態をみていきました。
学校と特徴が似ていることがなんとなく、イメージできましたね。
刑務官=先生
囚人=生徒
僕は本当にこのように感じてしまったんです。
では、学校に行く目的とはなにか?
それは子供たちを立派な大人にするために教育し、社会に送りだすことが一般的にいわれていることです。
ですが、なるべく個性を育てず「みんなそうしているから、あなたもそうしなさい!」といった感じで平均的な人間を量産する教育がいまでも相変わらずおこなわれています。
国や会社からすると、その人の個性なんかよりもいかに文句を言わず、せっせと働いてくれるか?の方が重要なわけで、
そういったなるべく従順な人間を量産することが学校に与えられた義務なんですね。
それにたいして、刑務所の目的とはなにか?
たとえば交通刑務所では、飲酒運転による事故など、交通ルールをやぶってしまったからこそ刑務所で罪を償い、社会復帰をめざしているわけですね。
つまりルールを守れない人は一般社会でいうと「立派な大人」とは言われず、会社という組織からすると使いづらく、煙たがるのですね。
だからこそ、刑務所という場所でもう1度、「立派な大人になるため」に再教育し、従順で使いやすい人間になってから、また社会に放り出されるのです。
学校でも、刑務所でも立派な大人を育てて社会に送りだすという点は、まったくおなじ共通点といえます。
どちらも国が作った教育体制が元となっていますから当然なのかもしれません。
でも、なんの罪もない純粋な子供たちにとにかく言われたことを従順にこなす使いやすい人間に教育することが目的の学校に通わせるのが、いまどき正解といえるのでしょうか?
そんなサラリーマン養成所に・・・
学校という世界しか知らない先生たち
繰り返しますが、子供たちを学校に行かせる目的も、刑務所の目的も立派な大人に教育して社会に送りだすということにあります。
いずれにしても「お金の稼ぎ方」や「事業の始め方」なんてのは教えてもらえないわけですから、社会に送りだすということは、サラリーマンになることが大前提の話です。
でもいまの時代はインターネットが普及したことで、YouTuberだったり、ブログをかいてお金を稼ぐなどサラリーマン以外として生きていく方法も増えてきていることも事実です。
かんのいいあなたならもう気づかれたかもしれませんが子供たちが、
全員1人でお金を稼いで生きていく方法を知ってしまうと、困ってしまう人がいるんですね。
それは会社の経営者たちです。
さらに国としても経済のことしか考えていませんから、その経済の発展に貢献してくれる会社、そしてそれを下から支える「優秀な労働力」が必要なわけです。
その「優秀な労働力」とは言うまでもなく従業員ですね。
だからこそ「お金を稼ぐための知識や方法」などに関して、国は一般人には知られないように隠し続けてきたのです。
そして、そんな学校で働く先生というのは学校という世界以外を自分の目で見ていない人間たちです。
先生に教育を丸投げするとロボット人間にされてしまう
社会にでてある程度の期間がすぎると、「学校は広い世界のほんの1部」でしかないことに気づかれると思います。
そもそも先生は、学校に就職し、学校で定年退職をむかえる場合がほとんどです。
そんな【従順で使いやすい人間】を量産することが目的でしかない学校、
つまり雇われてしかお金を稼ぐ方法を知らない先生に自分の子供の教育を丸投げするのは危険かもしれません。
しかも先生は、子供たちの将来なんて真剣には考えていないのですから。
「出る杭は打たれる」の従業員教育に自分の子供を丸投げしてしまっては、
「みんなそうしているから僕もそうしよう!」とやがて自分の頭で考えるのをやめ、
本来もっている才能なんかを潰してしまうことにもなりかねません。
本当は行きたくないのに「みんな行ってるんだから、あんたも行きなさい!義務教育なんだから!」と無理やり学校に行かせるのは、
自分の子供を刑務所に通わせているに等しい、本気でそのように思います。
学校に行くのはもう時代遅れ
言われたことを言われたとおりにこなす、誰かに敷いてもらったレールの上を歩くのは、たしかに楽なものです。
でも、ここまでお伝えしてきましたが学校に行く目的と刑務所の根本的な目的はおなじです。
「学校へ行って勉強をがんばれば、いい会社に入れて人生が安定だよ!」と昭和の価値観を子供たちに押しつけるのは、もう時代遅れなのかもしれません。
国や先生に敷いてもらったレールのうえを歩いても待っているのは「仕事で人生を埋め尽くし、理不尽に耐えつづけなければいけない人生」です。
学校教育に依存した末路がわかっていながら、そんな人生をいまの子供たちに歩ませるのか?
いいえ、国が作ったルールより子供の気持ちを尊重するべきだと、真剣にそれが正解だと信じています。
1度きりの貴重な人生・・・
どうせなら「笑顔」と「幸せ」で満たされる人生のほうがいいに決まっています。
その方法を僕たちがみつけ、子供たちに伝えていき「自由な人生」が当たり前になる・・・
それが僕の願いです。
僕たちは国や会社のために生きているわけではないのです。
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