最終章 2度目の就職とネットビジネスと新たな自分との出会い

※前記事 第4章 ブラック会社とパワハラ

 

第4章でもお伝えしましたが、僕は新卒で入社した会社を1年で退職しました。

 

もちろん自分のそのあとの人生に不安はたくさんありましたが、

そのようなことも冷静に考えられないくらい、当時は追い詰められていました。

 

社長に退職の意思表明したときのことは今でも忘れられません。

 

声が震えました。

 

しかも、その日は僕の22才の誕生日だったのです。

 

誕生日に退職の申し出をするなんて・・・

 

  • 1年で会社をやめた自分を雇ってくれる会社はあるのか?
  • 自分はこのさきどうなるのだろう?
  • 一生ニートかもしれない

次の就職先が決まらないまま退職をしてしまったので無職としてすごした期間は、

こんなことを考えながら怯えて暮らしていました。

 

でも、なぜか不思議なことに、「あの会社から解放されたんだ」とどこか安心していた自分もいたのです。

 

たしかに「無職」というのは世間体も悪いし、

「いい年の大人が親のスネをかじるなんてみっともない」と思われるかもしれません。

 

ですが、この「無職だった期間」は自分の気持ちをリセットし、自分と向き合うための貴重な時間でした。

 

そして退職から1か月後、無事に再就職先が決まったのです。

 

リベンジをこめて、同業種の会社に。

会社を変えただけで年収100万アップ

タイトルを見て、びっくりした人もいるかもしれません。

 

僕は新卒時代、手取り12万だったとは過去の記事でお伝えしましたね。

 

日給にすると5500円くらいです。

 

ですが再就職した会社で初めてもらった給料は18万でした。

 

社会保険も加入済みで手取りでこの金額です。

 

資格をとったわけでもない、スキルが上がったわけでもない、

ただ働く会社を変えただけで月にもらえる給料が数万円ほどアップしたのです。

 

さらに、ボーナスの支給や冬の夜中作業などもあるので、年収にすると100万くらいはアップしたことになります。

 

ここまでとなると、前の会社で働いていた時期がバカバカしくなってきました。

 

「前の会社より安くなければいい」という覚悟だったので。

 

しかも、人間関係もいい、たまにですが週休2日、残業代もしっかりと出る。

 

普通の会社からすると当たり前のことなのかもしれませんが、

すっかりブラック会社の環境に慣れてしまっていた僕からすると天国のように感じ、

この時は「ずっとこの会社でがんばろう」と思い、

資格や免許を積極的にとりにいったり、とにかく仕事にがむしゃらに取り組みました。

 

気がつけば、今の会社に入社して5年がたっていました。

生き方に疑問を持ちはじめた2019年

前項を読んでいただくと、「転職に成功して安泰な人生」、

こんな印象を感じたかもしれません。

 

たしかに、その当時は年収もあがってハッピーでしたし、将来も安心だと思っていました。

 

しかし26才になった2019年に僕のなかである疑問が浮かんできたのです。

 

  • いまの生活を定年まで続けるのか?
  • このままでいいのだろうか?
  • もっと自分らしく生きていける方法があるのではないか?

 

思えば、会社に入って5年間、毎日、毎年、同じことを繰り返して会社と家の往復をしているだけでした。

 

毎日おなじ時間に起きて、おなじ服を着て、

おなじ道をとおって、おなじ時間に昼ご飯をたべて、

おなじ時間に帰宅して、おなじ時間に寝る。

 

給料はあがったけど微々たるもの。

 

これをあと40年近く続けるのか?

 

想像したら自分の人生が退屈に思えてきました。

 

でも、どうしたらいいかわからないし、もう20代半ば。

 

普通なら、手に職をつけて、出世を目指して決意を固め、仕事に打ちこんでいる時期かもしれません。

 

畑違いの仕事をはじめるには、それなりの覚悟と勇気が必要。

 

「人生なんてこんなもんか」とあきらめかけていました。

ネットビジネスとの出会い

そんなある日、いつも通り仕事を終え帰宅し、

ダラダラとネットサーフィンをしているとき「ある方」のブログに出会い、

それまでの価値観からすると考えられないような衝撃を受けました。

 

  • 会社に雇われずPC1台でサラリーマンの年収を1か月で稼ぐ
  • 好きなときに仕事ができる
  • 目覚まし時計で朝、起こされる必要もない
  • うっとうしい人間関係が存在しない
  • 思いつきで旅行に行ける

 

世の中には、このような生活をしている人がいると知ったのです。

 

その方がおこなっていたのが「ネットビジネス」でした。

 

世の中の9割の人たちは、会社に通勤し20万~30万の給料をもらって生活しているはずです。

 

もちろん僕もその1人で20年以上、「雇われて稼ぐ」ことしか知らなかった僕には夢のような生活でした。

でも、

  • 自分にはそんな才能ないし
  • そんな生活ができる人はほんの一握り
  • なんか胡散臭い
  • どうせ詐欺だろう
  • 自分はお金持ちになんかなれない

 

こんなふうに思えて、にわかには信じられませんでした。

 

でも、やっぱり気になる。

 

半信半疑でその方のブログの記事を読んでみることにしたのです。

 

そしてわかったことは、

その方は、たくさんの苦労をかさね、試行錯誤の末、その夢のような生活を手に入れたようでした。

 

しかもまるで僕に向けて書いているかのような記事ばかりで、

今までの自分の生き方を振り返るキッカケとなり、僕の価値観が少しずつ変わっていったのでした。

 

「チャレンジしてみなきゃわからない!」

 

僕は覚悟を決め、「ネットビジネス」にチャレンジすることを決めました。

言いなりの人生から卒業

「ネットビジネス」にチャレンジを決意したものの、

それまでずっとサラリーマン生活をしてきた僕は、当然ながら自分でビジネスをやった経験はありません。

 

20年以上も「就職してお金をもらう」ことしか知らなかったので、

まずは幼少期から植え付けられた自分の中の価値観を徹底的にあらためる必要があると感じ、

ビジネス書籍などを読み漁りました。

 

成功者の自伝や価値観を読んでいるうちに、僕はある事実に気がつきました。

 

それは、知らない間にみんなと同じ人生を歩まされていたということです。

 

僕たちは幼少期から親や教師などに、

いい成績をとって、いい学校へいく

いい会社に入って、40年以上働く

このような生き方を目指せと徹底的に教え込まれてきました。

 

そのため、選択肢が自然と「就職する」の1点だけになってしまっていたのでした。

 

自然と周りと同じ人生を歩むことが正しいと思いこまされて、そこに自分の意志はなかったのです。

 

まさに言いなりの人生でした。

 

この事実に気がついてから、僕は周りと比べる人生をやめ、「自分の本心に向き合って生きる」ことにしたのです。

新たな自分との出会い、再出発

言いなりの人生を卒業することを決めた僕は、過去の自分と決別し、

それまでの習慣や価値観をすべてリセットすることを心がけました。

 

  • 時間の使い方
  • お金の使い方
  • 物事に対しての考え方

 

これらを、振り返って「どうすれば今後の人生をよい方向にもっていけるか?」を徹底的に考えました。

 

1つだけ確かだったことは、昨日と同じ生活を繰り返していてはまた同じ明日しかこないということです。

 

今までのように、空いている時間をダラダラとYouTubeをみて過ごしたり、

パチンコにお金をつぎ込んだり、失敗を恐れていては何も変わらない。

 

仕事が終わってからの時間、休日の過ごし方などを変えていくことから始めました。

 

積極的に「知識」に投資したり、

「ビジネス」について学んだりと無駄に時間を過ごすことがないようにひたすら意識するようにし、

失敗を恐れずに興味のあることはどんどんチャレンジしていくようにすると、

不思議と自信がもてるようになってきたのです。

 

いつまでも過去に縛られていてもなにも始まりません。

 

今は、「前を向き、夢に向かって走り続けている自分」に出会うことができ、毎日を生きています。

 

これもあの日、偶然「ネットビジネス」に出会うことができたからだと実感しています。

 

「ネットビジネス」は初期費用もほとんどかからず、経験や人脈がなくても、誰でも始めることができます。

 

僕の記事を読んで共感してくださった人は、お気軽にご連絡ください。

 

一緒に「理想の自分」と出会い、素敵な人生を歩んでいきましょう。

第4章 ブラック会社とパワハラ

パワハラ

※前記事 第3章 自信を少し取り戻した専門学生時代

自信と期待を胸に社会人デビュー

希望

専門学生時代の2年間で自信をとり戻した僕は、

2014年 4月に地元の建設会社に入社し、晴れて社会人となったのでした。

 

あなたがもし社会人なら、社会に出たばかりのころを思い出してみてください。

 

「とにかく出世したい」とか「一生懸命、働いて会社に貢献してやる」

 

こんな感じに希望をもって社会人デビューしませんでしたか?

 

僕だけじゃないはずです。

 

ところが、入社して数か月もすると徐々に違和感に気づきはじめたのです。

週6勤務と手取り12万

社会にでたばかりのころは特に、

仕事を覚えることに精一杯で右も左もわからず、とにかく言われたことを黙々とこなすはずです。

 

何が正しいかなんて、若い時なんてのは判断できる基準がないため、自分が勤めている会社が、

ホワイト企業なのか?

 

それとも

ブラック企業なのか?

なんて判断できませんよね?

 

その当時の僕は、「せっかく採用してくれた会社だし最低でも3年はがんばろう」と思い、

石の上にも3年という世間の常識に縛られていました。

 

いま思うと危険な考え方ですね。

 

ところが、僕が新卒採用で入社した会社は、週6勤務、手取り12万。

 

日給にすると5500円ほどです。

 

さらに、は7時出勤、帰宅も19時くらい。

 

拘束時間も12時間で、これが月曜日から土曜日まで続きます。

 

地域によって給料は違うとは思いますが、いくら新卒とはいえ、あまりにも少なすぎる金額だったと思います。

 

時給に換算すると500円に届かないほどです。

 

工事現場でしたので、常に危険が伴います。

 

事故やケガのリスクを考えると、パチンコ屋でバイトしてたほうがよかったかなと思います。

 

それでも世間知らずだった僕は、

「新卒なんてこんなもんか、がんばって昇給を目指そう」と、がむしゃらに働いていました。

 

まさに、会社にとって都合がいい養分ですね。

現場では奴隷のような扱い

コンビニのアルバイトよりも安い時給で、それでも僕は必死に仕事に取り組んでいました。

 

いま冷静になって考えると、この時点で気づいて転職先を探しておくべきだったのかもしれません。

 

でも、新卒でたったの数か月で辞めたら間違いなく印象は悪くなってしまいますから、

退職するならそれなりの勇気が必要なはずです。(この考えも罠なんですが)

 

僕は「現場監督見習い」で入社したのですが、作業員からは本当、奴隷のような扱いを受けてました。

 

数人から、ほぼ同時に違う命令がくる。

 

体は1つしかないのに、複数のことをこなすなんて無理な話ですよね?

 

それで、他のことが疎かになっていると、また怒号がとんでくる。

 

本当に奴隷以外の言葉が見つからないほどでした。

 

でも、当時の僕は、単なる都合がいいだけの存在だったので、何も言い返せず、

とにかく我慢するしかありませんでした。

 

学生あがりの人は、こんな感じでしょう。

 

長年にわたって植え付けられた、

上の人がいう事は絶対という価値観が抜けきっていない場合が多いですからね。

部長からのパワハラ

ちょうど入社して半年が経ったころ僕は、部長と現場を進めていくことになったのですが、

このころから、僕は仕事にいくのがそれまで以上に苦痛に感じるようになっていました。

 

昼ご飯がのどを通らないこともあり、うつ病になってもおかしくないような状況まで追い込まれていました。

 

その部長というのが、

  • 現場事務所にこもりっぱなしで、僕に現場は丸投げ
  • 分からないことを質問すると、怒鳴ってくる
  • 暴力をふるってくることも頻繁
  • 素人目線で、ものがいえない

 

新卒の社員だった僕に、ほぼ丸投げの状態でした。

 

当然ですが、わからないことだらけです。

 

失敗もたくさんして、何回もやり直しもしました。

 

もちろん「新卒だから」というのは、理由にならないかもしれません。

 

ですが、いまの僕から考えると、

新卒の人に現場を丸投げなんてするか?

というのが正直な意見です。

 

その当時は、できない自分が悪いと思って、がむしゃらにやっていましたし、

失敗するたびに落ち込んでいましたが、いま思うと「しかたがないミス」ばっかりだったように思います。

 

僕が悪かった部分もたしかにあるでしょうが、

「質問しても怒られる」、「暴力をふるってくる」で、精神的に爆発しそうでした。

ついに限界がきて1年で退職を決意

部長からのパワハラ、現場では作業員からの奴隷扱いで、僕の精神は限界に近づいていました。

 

でも、せっかく専門学校を通して入社した会社ということもあったわけですし、もしここで辞めたら、

「先生もがっかりするんじゃないか?」、

「みんながんばっているのにオレだけ辞めていいのか?」

など、完全に他人軸を生きてしまっていました。

 

ところがある日、退職を決意する決定的な出来事が起こります。

 

それは、給料が「月給から日給」への減給でした。

 

そうです。

 

監督見習いから作業員への降格です。

 

これでは、もうここの会社に残る意味なんてありません。

 

それこそ、コンビニでアルバイトしていたほうがマシです。

 

でも、なぜか減給を言い渡された瞬間、気持ちが楽になっていった感じがあったのです。

 

これで、迷いなく辞めれると。

 

結局、僕は新卒で入社した会社を1年で退職しました。

最終章へ続く

第3章 自信を少し取り戻した専門学生時代

自信

※前記事 第2章 立ちはだかる人間関係の壁

自信がつき希望が見えた

高校時代まで勉強も部活も、人間関係も全くうまくやれなかった僕は、

自分の将来に自信なんて持てませんでした。

 

こんな状態で自信が持てないのは当然の話ですね。

 

高校までは事実上の義務教育のようになっているので多くの人は高校に通うはずですが、

18才になり高校を卒業すると、いよいよ自分の意志で進路を決め、みんな様々な方向に進んでいきます。

 

  • いい大学へ行って、安定した職業に就く
  • 調理師免許をとるために専門学校に通う
  • 都会へいって就職する

 

こんな感じで、進学か就職かの2択を迫られます。

 

憧れていた都会で働く人もいれば、夢に向かって大学、もしくは専門学校へ進学する人もいるでしょう。

 

第2章まで読んでくださった人であれば、ご存知だと思いますが、

僕は18才までの間に多くの失敗をしてしまったせいで自信をなくしてしまい、

さらに自分すらも見失っていました。

 

  • 大学へいく頭もない
  • やりたい仕事もない
  • 都会で1人暮らしをする自信もない

 

本当にないないづくしでした。

 

こんな僕でしたが、「高校を卒業してニートはまずい」という考えはありました。

 

その結果、僕の実家から通うことのできる専門学校へ進学することにしたのです。

 

完全にその場しのぎの選択でした・・・

2年間の専門学生生活のスタート

「勉強ができないのに専門学校へ合格できたの?」

 

こう思った人もいるかもしれません。

 

僕が進学した専門学校(土木関係)は、入学すること自体は、

よほどのことがない限り誰でも簡単に入学できるレベルでした。

 

だって、入試問題は中学レベル程度の数学だったからです。

 

高校までと違い、専門学校は就職するための専門知識のみを勉強します。

 

僕の大嫌いな英語や、理科などは勉強しなくてよく、土木の専門学校だったので外での実習がほとんどでした。

 

座学が苦手な僕にとって、その部分は向いていたかもしれません。

 

人数も10人程度で、ほとんどが同い年の人でしたが、30代の人など年上の人も何名かいらっしゃいました。

 

不特定多数の人間が集まる義務教育とは異なり専門学校となると、ある程度、自分と同じタイプの人間が集まります。

 

「類は友を呼ぶ」といったものです。

意識の変化

先ほどは、専門学校は就職するための専門知識のみ勉強するとお伝えしました。

 

高校まで勉強なんて全くしてこなかった僕ですが、ここである「意識の変化」が起こります。

 

その「意識の変化」とは、

 

  • ここで学ぶことは将来に必ず役に立つ
  • だから、少しだけがんばってみよう

 

ということです。

 

高校までの勉強なんて、いつ使うか分からない知識を丸暗記するだけですよね?

 

ですが、専門学校で習う知識というのは、就職したときに必ずプラスになるだろうという確信が持てました。

 

過去の自分というのが嘘のように、真面目に学校生活に取り組みました。

 

2年生に上がる前に「進級試験」があるのですが、なんと100点で余裕の通過をし、自分が1番に驚きました。

 

オレもやればできるんだ

 

初めて自分を褒めてあげることができたかもしれません。

国家資格に挑戦

少しずつ自信を取り戻していった僕は、最後の学生生活を順調に過ごしており、

学校の仲間とも仲良くすることができていて、それまでの失われた時間が埋まっていくようでした。

 

がんばっている自分や、先生に褒められている自分、高校までの僕からしたら別人のようで毎日が楽しかったです。

 

そんな中、僕が通っていた専門学校では毎年、生徒が受験しているある国家資格がありました。

 

それは「2級土木施工管理技士」の学科試験です。

 

この資格は「学科試験」と「実技試験」があり、

両方に合格しないと資格証が与えられないのですが、「学科試験」のみ、学生でも受験することができます。

※「実技試験」は実務経験が数年ほど必要(年数は学歴によって異なります)

 

この専門学校に職を求めてくる人の多くは、この試験の合格を目指して入学してきます。

 

僕は、その当時20才。

 

20才にもなって、何もチャレンジしてこなかった僕は、

絶対に合格してやる!!

はりきっていました。

 

こんなに熱くなったのは初めてでした。

 

初めて、自宅で勉強を本気でやりました。

結果は

合格しました。

 

土木業界の人からすると、「2級なんて持ってて当たり前だ」

こう思うかもしれません。

 

ですが、その時の僕は、涙がでるほどうれしかったのを覚えています。

学生生活ラストスパート

「2級土木施工管理技士」の試験に合格し、学生生活も残り数カ月ほどになっていました。

 

となると、次は就職先ですね。

 

いくら国家試験に合格をしても就職先が決まらなければ意味がありません。

 

僕が通っていた専門学校には意外にも企業からの求人はクラスの人数を上回るほどきており、

県外に就職するか?、地元に就職するか?

 

他の仲間たちは、続々と就職先を決めていたので、悩んでいる暇はありませんでした。

 

とはいえ、

実家から通勤したほうが貯金もできていい

都会のほうが給料が高い

様々な考えが頭をよぎり、決断をするのに時間がかかってしまいました。

 

そして、「ひとまず実家から通って貯金しよう、そこで力をつけて大企業に転職しよう」、

程度の気持ちで地元の企業に面接にいき、内定をいただいたのでした。

 

この安易な決断が間違いでしたが・・・(次の記事で説明します)

 

とにかく、就職が決まったことで安心して卒業を迎えることができました。

いざ、社会人へ

2014年 3月に僕は地元のある専門学校を卒業しました。

 

小学校からの学生生活を通しても、この専門学校で過ごした2年間が1番充実していたと思います。

 

たったの2年間で、とても成長でき、自信もつき初めて笑顔で卒業式を迎えられました。

 

その日の夜には、先生も含めて飲み会があったのですが、

「よく頑張ったな」「1番に成長したのはお前だよ」などの褒め言葉をいただき、

改めてこの専門学校にきてよかったと、実感し4月から仕事をがんばるという期待と、

もう学生が終わる寂しさがありました。

 

本当に楽しかった。

 

そして、僕はいよいよ社会人となりました。

第4章へ続く

第2章 立ちはだかる人間関係の壁

人間関係

※前記事 第1章 人間不信になった中学時代

人と関わるのが怖い

人が怖い

前記事で書いたように、

中学時代のできごとで人間不信になってしまった僕は不安をいっぱいにかかえて高校へと進学したのでした。

 

勉強もできなかった僕だったので、進学した高校は市内でもっとも偏差値の低い学校で、

「不良が集まる学校」といわれており、世間体はあまりよくない高校でした。

 

いざ、入学して先輩をみてみると、

全校集会でおにぎりを堂々と食べていたり、

金髪の先輩がたくさんいたりで、中学時代では考えられないような自由な雰囲気でした。

 

真面目な考えを持っている人からすると「なんて学校だ・・」と思うかもしれませんが、

中学のような堅苦しい校則などはなく、「少しは気楽に過ごせそうかな」と感じたのを覚えています。

 

こんな感じで僕の高校生活が始まったのでした。

環境の変化で

人と関わることを恐れていた僕は、

「また中学の時みたいにバカにされるのか?」や、

「嫌われるくらいなら最初から関わらないようにしよう」と思い、緊張しながらクラスで過ごしていました。

 

不良が集まる学校といわれていたくらいなので、

中学よりもクラスの人間関係には苦労するかもしれない恐怖があったんだと思いますが、

意外と平穏に過ごせておりクラスの人も僕に積極的に話しかけてきてくれたので、

特に問題なくクラスでは過ごせていました。

 

いつの間にか、友達もできていて元々は人としゃべるのが苦手じゃなかった僕は、

少しずつみんなと打ち解けており、気が付くと人気者になっていました。

 

  • 環境が変わるだけでこんなにも違うのか
  • 1つの環境がすべてではないんだ

 

と、高校時代に学びました。

 

小さい町の1つの学校、1つのクラスがすべてではありませんでした。

部活へのリベンジはまたしても失敗

クラスでうまくやれていた僕ですが、次第に「部活もやりたい」と思うようになりました。

 

相変わらず勉強は苦手で下から数えたほうが早いレベルでしたし、

このままでは、「また何も残せず終わってしまう」と考えたのです。

 

中学時代にも不完全燃焼で終わってしまった部活に再チャレンジすることを決意したのでした。

 

前の記事では書き忘れてしまいましたが、

部活は「野球部」で小学校から野球をやっており、

「甲子園にいきたい」「プロ野球選手になりたい」と夢みたこともありました。

 

高校こそは部活を最後まで続けて笑顔で高校生活を終えたい

 

こんな目標をもって再チャレンジした部活でしたが、またしても失敗で終わるのです。

 

原因はやっぱり人間関係でした。

なぜうまくやれないのか?

中学に引き続いて、高校でも人間関係が原因でうまくやれず終わってしまいました。

 

  • なぜこんなにうまくいかないのか?
  • 自分は本当にダメな人間なのか?

 

相当落ち込みました。

 

ここまでくると、普通の人からすると笑えてくると思います。

 

根本的な原因は自分にあるとわかってはいましたが、

「どうすればよかったのか?」めちゃくちゃ悩みました。

 

でも、いくら考えてもやり直すことはできません。

集団行動が苦手だったのかも

高校卒業まで数カ月となったところで、

「このまま社会に出ても失敗続きだ」と思い、自分の欠点を徹底的に考えました。

 

そのころには割と自分を冷静に分析できるようになっていて、その結果、

 

集団行動が苦手なのではないか?

 

という結論にたどり着きました。

 

学校というのは、あなたもご存知かもしれませんが、

9割が集団行動で成り立っています。

 

集団行動が苦手な人がこれでうまくやれるはずがありませんね。

 

個人より、組織を重視するこれが日本の教育なのですから。

 

つまり、自分を押し殺して周りの意見を尊重する。

 

または、上の立場の人の言うことは絶対に聞く。

 

このような人間が組織でうまくやっていけるのだと、18才だったあの時、気が付きました。

 

思えば昔から、僕は自分が納得できないことは素直に謝れない、

嫌いな人の話は聞きたくない、そのような態度ばかりでした。

 

組織の1員として生きていくには、本当の自分を出してはならないという残酷な事実を痛感しました。

第3章へ続く

第1章 人間不信になった中学時代

 

あなたの中学時代はどんな感じでしたか?

僕は今(2020年)27才ですが、特に中学時代はいい思い出が1つもありません。

  • 勉強はできない
  • クラスメイトから容姿のことをバカにされる
  • 友人から裏切られ人間不信になる
  • 部活も途中で退部

こんな感じで勉強や運動、さらには人間関係も苦手で学生時代に、

何も輝かしい実績が僕にはありません。

 

周りの人たちは勉強をがんばってテストに向けて切磋琢磨していたり、

部活で表彰されていたりで僕はただそれを陰から眺めているだけでした。

 

何も取り柄がない僕はクラスでも孤立し、

卒業式が終わった直後もみんなが記念撮影をしているなか、逃げるように帰っていました。

両親からのプレッシャー

こんなに出来の悪い僕の両親は2人とも、市内でトップの高校を卒業し、

大学にも進学していた日本でいうエリートコースを歩んできた両親でした。

 

そのため息子である僕に期待をしていたのか、勉強には昔から厳しかったのを覚えています。

 

昔から「勉強しろ、勉強しろ」としつこく言われてきたせいなのかは分かりませんが、

とにかく僕は勉強が嫌いでしたくありませんでした。

 

中学校へ進学し、高校受験が近くなってくると、両親からのプレッシャーはさらにエスカレートしてきました。

 

「これじゃ行く高校ないよ!」

「私立高校には行かせない!」

 

このような言葉を毎日のように聞かされ、それでも勉強する気になれない僕は、

自分でもどうしていいか分からず、やがて自分を見失っていきました。

先生からも問題児として目をつけられる

先ほどお伝えしたように、勉強が全くできない僕はテストの順位も下から数えたほうが早いレベルでした。

 

テストの点数で評価される学校という世界では、

僕のように勉強のできない生徒は先生にしてみれば「問題児」以外のなにものでもなかったでしょう。

 

誰からも認めてもらえない苛立ちから先生に暴言を吐いてみたり、

反抗的な態度をとったりと、今思えば恥ずかしいことばかりしていたと思います。

 

当時、世の中のことをなにも知らない僕は、

「先生の言うことが絶対に正しいのか?」、

「なんで勉強ができないだけでこんな扱いされなきゃいけないんだ?」

と思いながらも、なんとなく学校へ行っていました。

1人になりたくなくて無理に友達を作ったら裏切られ人間不信に

こんな僕と当時、友達になりたいと思ってくれる人は、ほとんどいなかったと思います。

 

今でこそ、「友達なんて無理に作らなくてもいい」とか、

「ただ群れているだけの関係なんて虚しいだけ」などと言えますが、

中学時代なんてのはどうしても周りの目を気にしてしまいますよね?

 

そのために、1人にはなりたくなくて自分を押し殺し、無理にいろんな人と仲良くなろうとしていました。

 

いや、自分は友達がいないと思うことが怖かったんだと思います。

 

そんなある日、友達だと思っていた人に無視をされるようになり、

「ふざけているのかな?」と、初めは深くは考えませんでしたが、

その人は卒業するまで1度も口をきいてくれることはありませんでした。

 

それをきっかけに、僕は人と関わることが怖くなりました・・・

人間関係で部活も途中で退部

僕を無視するようになったその人とは、部活も同じでした。

 

運動もそこまで得意じゃない僕でしたが、

部活だけはレギュラー獲得を目指して一生懸命に取り組んでいた時期があり、

その人との関係は気にしないでやっていこうと思っていましたが、

部活のみんなにも無視をされるようになってしまいました。

 

「オレなんかしたっけ?」

「なんでオレだけ?」

 

原因は分かりません。

 

部活は好きでやっていたつもりでしたが、さすがに人間関係がここまでひどくなると、部活に行くのも辛いものです。

 

「本当に好きなら、辞めないんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、たしかにその通りかもしれません。

 

ですが、あの時は部活に行く前に胃が痛くなるほど、そのくらい精神的に追い込まれており、

次第に部活にも顔を出さなくなって、そのまま退部をする形となってしまいました。

 

その部活の顧問や、担任の教師には「ただサボっているだけ」と思われていたのが、なお悔しかったです。

それでも不登校にはならず、卒業を迎える

ここまで、読んでみて僕の中学時代はイメージできましたでしょうか?

 

本当にどうしようもない「くそ野郎」で、

毎日のように「学校に行きたくない」と思っていましたし月曜日がくるのが憂鬱で、

朝起き上がるのが大変でした。

 

社会人になると、月曜日の朝はだれでも憂鬱かもしれませんが、その当時は社会人の今よりも憂鬱な気持ちでした。

 

今、振り返ってみても、よく不登校にならなかったと思ってしまうほどです。

 

中学生の時なんてのは、世の中のことは全くわからない状況なので、もし不登校になったら、

 

この先の人生が終わってしまう

と感じてしまいますからね。

 

今の僕が、その当時の自分にアドバイスできるなら、

もっと自分の気持ちに正直になれ

こう伝えたいです。

 

こうして、何も残らないまま卒業式を迎え、クラスの打ち上げなどにも参加していません。

 

不安をたくさん持ったまま高校生活が始まります。

第2章へ続く