学校とは教化のための服従を強要するための機関ですから。
ノーム・チョムスキー(アメリカの哲学者)
僕は中学生になったころから、学校教育に対して違和感をもっていました。
そして大人になったいま、自信をもって言えることがあります。
僕が当時、持っていた違和感は間違いじゃなかったということ。
学校とは庶民を教育するというより、洗脳するためにある場所だったのです。
個人的に学校が今でも存在している理由は、主にこの2つだと思っています。
- 国がなるべくサラリーマンを量産したいため
- 先生たちが仕事をするため
学校で教育されたことを、いつまでも信じていると、待っているのは社畜人生でしかありません。
それくらい国からの洗脳は恐ろしいほどの力を秘めています。
あなたがもしも現役の学生さんで学校の教育に違和感をもっておられたり、
社会人であっても僕と同じ考えをもたれているならこのページを最後まで読みすすめてください。
国から、教育という名の洗脳にかかってはいけません。
コンテンツ
僕が感じていた学校に対する違和感
僕が学校に対して疑いを持つようになったのは、中学2年生のころでした。
一緒に考えてみてくださいね。
- 先生が思った通りのことを言わなきゃ怒られる
- イヤなことでも我慢できる人がえらい
- 約30人のクラス全員が同じ行動をする
- 1人だけ違うことをしていると白い目で見られる
- とにかく、「先生が言うことだから正しい」と押しつけられる
- 訳の分からない校則がある
他にもまだまだたくさんありますが、ざっくりと思いだしてみても、これだけの違和感をもっていました。
いまだからこそ思うことですが、学校の教育は本当にムダで意味のないことばかりだったと思います。
もちろんですが、学校の決まりなんて法律でもなんでもありません。
それなのに成績が悪い生徒や校則をやぶった生徒などを、まるで犯罪者のような扱いをする恐ろしいところです。
僕は、「学校の勉強なんて大人になってから使わないだろう」と中学生だった当時から何となく感じていました。
だからこそ、「別に勉強なんかできなくてもいいし、しなくてもいい」と思っていたのが正直なところなんです。
それでも先生というのは学校の勉強以外を知らないわけですから、「いいから勉強しろ!」としか言えないのですね。
冒頭でもお話したように学校教育とは、サラリーマンを量産するための国からの洗脳です。
サラリーマン、つまり社畜に、「自分の考えをもつことは許されない」という感じでしょうか。
学校教育で身についてしまうおかしな常識
前項でお話した通り、僕は学校教育に対してたくさんの違和感をもって過ごしていました。
本当なら学校なんて行きたくなかったのですが、
僕の両親はどちらも大卒であり、学校教育の信者です。
それなら当然かもしれませんが、学校を休んだりすることを許してくれるはずがありません。
それでとりあえず、イヤイヤ学校に通っていました。
中学生のころなんかは確かに、自分が感じている違和感が、
「絶対に正しい」と自信がもてるはずがありませんから、そうするしかなかったのです。
「おかしい」と感じていることを親などに相談しても、「それが常識なの」と言われてしまう場合がほとんどです。
そんな洗脳のような教育を10年以上も受けていると、違和感も常識となってしまいそうです。
では、学校教育で身につくおかしな常識とはどんなものがあるか?
たとえば、
年上(目上)の人には自分の意志に関係なく従う必要がある
先生が、「カラスは白いと言えば白になる」という雰囲気は、ほとんどの学校であると思います。
よく考えれば、こんなにもおかしいことが常識となってしまうなんて危険だと思いませんか?
まるで意志を持ってはいけない奴隷のようです。
こんな価値観を学校教育で、「常識なんだ」と洗脳されて、社会に出たらどうなるのか?
それこそ、「社長や上司がいうことには逆らってはいけない・・・」という、社畜へ一直線です。
「みんながそうしているから」と、みんなと同じようにするのが当たり前
本来なら思想や価値観、得意なことや苦手なことは1人1人ちがって当然です。
でも、これも学校の教育では当たり前の、「みんなと同じでなければならない」という雰囲気で、
決められた時間はみんなと同じ行動をするということ。
朝から夕方まで先生が決めた授業を黙ってうける。
ずば抜けた才能を伸ばす・・・というより、まるで苦手を少なくして平均的な人間を量産するかのような洗脳。
社会に出たら、自分のことは自分で決めて、みんなとは違うことをしなければ成功できません。
みんなと同じことをしていては、みんなと同じ結果になるだけです。
その中で、1人だけ違うことをしていたら、「アイツはおかしいヤツだ」と白い目で見られる・・・
これなら新しいことにチャレンジしない人が多くなってしまうのは当然のことですね。
我慢すること、イヤなことから逃げない忍耐力が重要
学校の教育は、「我慢すること」の連続です。
それは将来いつ使うかどうかも分からない知識を、
先生たちによって一方的に教えられるという苦痛な授業を10年以上も受けなければならないからですね。
これを、「我慢する」以外の言葉があるでしょうか?
このように、「我慢できる人がえらい」と学校教育によって徹底的に洗脳されます。
社会に出てみて思うことは、
我慢するべきことと、するべきではないものがあるということ。
たとえば、ネットビジネスなどの始めて半年~1年は、まったく稼ぐことができません。
いま稼いでいる人たちは、この稼げない時期を乗りこえたからこそ、いまがあるのです。
つまり、ツライ時期でも我慢して必死に作業したということ。
我慢するべきこと・・・
それは自分が理想とする未来のために、ツライ時期でも耐えるということだと個人的には思います。
対して「我慢しなくていいこと」とは、
例えるなら理不尽なことで怒ってきたりする上司など、自分ではコントロールできない部分のことですね。
つまり人からさせられている苦労などは、我慢する必要なんてないんです。
でも学校教育では、これらを含むすべてのことに対して、「我慢することが美徳」と洗脳されます。
学校とは優秀な【労働者】、【社畜人間】を量産するために人々を洗脳する場所
ここまで読んでいただいたなら、あなたも学校教育の真の目的がイメージできてきましたね?
前項で、「学校で身につくおかしな常識」は誰にでも心当たりがあるはずです。
これらを洗脳する学校の教育、
その目的は優秀な「労働者」、「社畜人間」を世の中にたくさん送りだすことにあります。
考えてみてください。
- 目上の人には従わなければならない
- みんなと同じようにするのが当たり前
- 我慢する人はえらい
これらは会社員、つまり労働者として生きていくなら必須条件だと思いませんか?
まるで意志をもたないロボットみたいだと思います。
従業員みんなが同じ仕事をして、理不尽な上司でも従わなければならない。
それを我慢できる人がえらい。
こんな会社にとって都合が良すぎることばかりを、「常識」と洗脳されるなんて、
考えただけで怖くなってきませんか?
僕たちには自由に生きる権利があります。
誰1人として会社のオーナーを稼がせるために生まれてきたのではありません。
【お金】や【税金】のことを学校では教育しない理由
学校教育とは優秀な「会社員」つまり、「社畜労働者」を製造するための工場であることが、
ここまでであきらかになりましたね?
要は国としては、僕たちに個人事業主や起業家になってもらうよりも、
サラリーマンになってもらった方が税金が絞りとれるのです。
その証拠に学校では、「お金」や「税金」のことは、まったく教育されませんよね?
もし、「お金の稼ぎ方」や「税金がどんなことに使われているか」を教育していたら、
いまごろはサラリーマンやOLの人たちがいなくなっており国が破綻していることでしょう。
お金は生きていくためには絶対に必要なものです。
社会に出てからほとんど役に立たない知識ばかり勉強するより、
「お金の勉強」の方が、よっぽどためになると思います。
でも学校では、「就職がすべて」としか教えられません。
子どもたちが将来の夢を持てないのは当然
たとえば幼少期のころは、「プロ野球選手になりたい」とか、「仮面ライダーになりたい」など。
無邪気で自由な夢を話していたと思います。
でも、学校の教育を受けている期間が長くなってくるほど、将来の夢をもたない子どもたちが増えてくると思います。
それは言うまでもなく、「そんなのムリに決まっている」や「もっと常識的に考えなさい」と、
親や先生たちによって洗脳されるからです。
将来の夢を聞かれたら多くの子どもたちが、職業についてしか答えないというのが、
洗脳されている証拠だと思います。
子どもを先生の仕事に付き合わせちゃいけない
僕はもっと子どもたちに、「自由な発想をもってほしい」と思います。
でも、まわりに流されるがままに学校の教育を受けさせると、
将来の選択肢は就職することのみになってしまいます。
夢も希望もある子どもたちに、優秀な労働者としての社畜人生をおくらせることが、
正しいことなのでしょうか?
僕自身は、まだ子どもはいませんが、もし将来パパになったなら、
大切な我が子を学校教育に任せる勇気は1mmもありません。
「就職することがすべて」と洗脳されるということが分かってて、丸投げするなんてできません。
学校なんて結局は、先生たちからしてみれば仕事をするための場所でしかないんです。
先生たちも、国のために働く労働者です。
「優秀な会社員を量産しなさい」が、国から与えられたミッションです。
その意味では先生たちも、国によって洗脳されているのかもしれません。
要は従順に生きてきたわけですから当然ですね。
少し見る視点を変えると、
学校とは先生たちの仕事に何も知らない子どもたちが付き合わされている。
そんな場所でもあると思います。
【結論】学校教育なんて意味がない
国からの洗脳によって将来の夢が、可能性に溢れた10代の時点で、
- 会社員になること
- 優秀な労働者として社畜人生をおくる
これらに限定されてしまうなんてもったいないと思います。
あなたがもし社会人なら、考えてみてください。
学校で教わったことが就職してから「役にたったのか?」を。
きっと、多少の読み書きや計算などができていれば生活にまったく支障はないと思います。
だとしたら、学校教育はこれまでお伝えしてきたように、
優秀な労働者をつくるための場所であることがあきらかになるはずです。
このページを読んでくださったあなたが、もし学生さんなら、
先生たちの仕事なんかに付き合っているヒマはないと思います。
1日でも早く、「自分だけの生き方」を見つけましょう。
繰り返しますが学校に行っても、「就職しなさい」と洗脳されるだけです。
そして、その会社のオーナーを儲けさせるために人生を捧げることになります。
「そんな人生イヤだ!」という心の声が聞こえたなら、もうあなたは洗脳から解放されたということ。
現代はとくに就職がすべてではなくなりました。
もう、「仕事で埋めつくす人生」が常識ではないのです。
学校教育に、「NO]を突き付けてやりましょう。
これを機会に、学校では教えてくれないビジネスを学んで、
アフィリエイトで自由に生きると決意されるのもいいかもしれませんね。
自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって図書館と古本屋さえあれば、それで十分だった。
司馬遼太郎(日本の小説家)
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